風に吹かれているジャングルジムの上

昨日ZOOMでとあるオンライン講座を受けていたのですが、教えて下さっている師匠から

「闇と光がどちらもあっても良いんですよ、陰陽のマークみたいに」という言葉を頂いた。改めて本当にそうだよなあ。。と思い返しているところです。だから僕は大好きなアイスを食べます、その分身体温めますよとも言っていたけど(笑)

そして昨日なんだかこれに関連するような言葉をキャッチした。

「正解で溢れたこの世界がこんなにも息苦しいんだなと知って。。」

これはキングコングの西野さんが発していた言葉です。

全てがそうとは言わないけれど、確かにそういう風潮はある様な気が、する。もしくはそうでなければ(正しくなければ)いけない、と自分の内側に知らず知らずのうちに刷り込まれているものが世の中を眺める色メガネとして存在しているのかもしれない。それは仕事だったり人間関係だったり、あらゆる事に関してジャッジして自分で自分を制限している、そしてそこには限界点というものがある日ポンと現れたりする。

今日の分の大掃除が終わった後、公園でパンとコーヒーでお昼にしていた。その時に公園で威勢よく遊んでた子供たちの会話。

【登場人物】
・とある兄弟(兄(七歳位)と妹(四歳)
・活発な女の子(七歳位?)
・きっと兄弟兄の友達の男の子2人組(おそらく兄と同級生)

ジャングルジムの上で遊んでいる5人、どうやら兄と同級生の男の子のうちのひとりが、兄の妹に物を貸すか貸さないかの問題でやらかしてしまったようです。

兄(同級生に向かって):「ちょっと、ちゃんと謝ってやってよ、俺の妹まだ四歳なんだからさ」

活発な女の子:「そうだよ、謝んなさいよ。優しくしてあげなさいよ」

同級生:「。。えー。。(謝んなきゃいけないの?俺なんか悪い??)」

もう一人の同級生(はっきり言ってどうでも良さそう):「●●君は、謝らなきゃいけないんですかああ~~?」

兄・活発な女の子:「そうだよ / そうよ」

同級生:「。。。ごめんね」

妹(ここで初めて言葉を発する):「いーいーよ!」

一同遊びに戻る。わーーーー

– FIN –

この会話が聞こえてきて思わず読んでいた本から顔をあげてしまった(満面の笑み)。間違いも子供のうちにいっぱい経験して、許す事を覚えて、なんだかその一連のプロセスがとても尊く感じたのです。その時読んでいたのが大人の男女の複雑な心境を描いた向田邦子さんの小説だったから余計にコントラストを大きく感じたのか(笑)

間違いが当たり前にある世界、そう思える事でだいぶ肩の力を抜いていけそう。正直なところここ何年かの私は今よりももっと自分で自分に制限をかけながら生活していました。「こんな事をやっていちゃ生活できない、ここはこういう場なのだからこうするのが当たり前だ、こんなことも出来なければ自分はだめなんだ」などなど、挙げればキリがない。正しくいなければいけない、という強迫観念にノイローゼになりそうな感じだったのだと思う。

闇も光も、正解も間違いもどちらもあっても良い。というか正解・間違いと論じる事自体がなんだかしっくりこない感じもする。正解・間違いを問う以前に自分はどう考えるのか、何を感じるのか、その上でどう行動するのか?“個”としての自分を問う、その上で人間なので闇や光の感情も出てくると思う。でもそんな営みがとても人間らしく、またしてもこの言葉を使用して恐縮なのですが、尊く感じる今日この頃です。

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