その行為をアートと呼ぶ

昨夜のお話をさせて下さい。

帰り道、家に着く手前の真っ暗な小道のはしっこで二人の人が佇んでいました。どうやらご高齢の女性が転んでしまい額から流血してしまい、近くの某運送会社のお兄さんが介抱していたのでした。

救急車を呼びますか?家まで運びますか?と言っても家人がもう少しで帰ってくるから。。とそこに留まる事をその女性は主張していてどうしたものかとなっていました。

そこにひとりの男性が何があったのかと尋ねてきたので事情を説明すると眼の色を変えて「看護師であるパートナーを呼んでくるから応急処置しよう」と提案してくれたのです。

すぐにパートナーの方がやってきて手際良く額の怪我を処置。その手さばきと介抱は本当にため息がでるほど鮮やかでした。

家人であるご主人もようやく帰ってきてその女性は無事に帰宅しました。。

という事があったのです。

私は昨日の帰り道、ある事で少しだけ頭を悩ませていたのですがその出来事に遭遇し全て吹っ飛んだと同時にちょっとした感動を覚えました。

何故かというと看護師の方の介抱も勿論ですが、あの場にいた全員が”この人を助けたい”という方向にベクトルが向いており、見返りも報酬も何も求めていない、ひととひととの淡々としたやり取り。そんな事が線香花火よりも少し大きめな火花をともなうようにその空間を照らしていたように思うのです。

見返りを求めたり認めてもらいたかったり、結果や報酬を求める。これらの事は人間社会では本当に良く起こる事で、考え出すと嫌になる事もあるけれどいかにも人間らしくいとおしい側面もあると私は思います。ただ、この様に無心でただただ何かの行為を施す。。というものが日々に突然経ち現れると世界の色が変わって見える。

色が変わって見えるだけではなくてそれに関わっている人々の意識まで変えていく可能性も持っているのだなと言う事を強く思いました。

ちょっと話が逸れるかもしれないけれど、そういった行為全般をアートと呼べるのではないかと私は思う。有形無形、絵か彫刻かなんてものは全く関係なく、ただ無心で行った事が人々の意識を変えていく役割を担っている。それはもしかしたらスーパーのレジで起こるかもしれないし、ウキウキして作った自分の為の朝ごはんかもしれない。

何かに真剣に取り組む。そういった行動が連鎖していけば全体の幸福度がもっともっと上がっていくのかもしれないな。。と一晩明けた今そんな事を感じています。

何はともあれ無事で良かった、よ!そして全員が笑顔で解散したのでなんだか忘れられない夜になりそうです。早く傷口が回復しますように。

“その行為をアートと呼ぶ” への 2 件のフィードバック

  1. こんにちは^^
    見ず知らずの人たちの集まりが怪我をされた女性を助けようと一致団結された光景…
    世の中捨てたもんじゃないですね☆♪
    まずはご無事で何よりでした 全員が笑顔で解散ってかっこいいです(*^0^*)~♪

    いいね: 1人

  2. pikaoさん、ありがとうございます。そうなんですよ、ほんと世の中捨てたもんじゃないなと思いました。そしてご無事でほんとに良かったです。それが何よりです^^

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