眼の前に現れる出来事

何かがある前や、変化する時に示唆をするような出来事やニュースやサインが連続的に眼の前に現れる事があるという話を聴いた事がある。

向こうから現れている様で自分がその糸を手繰り寄せている可能性もあるのかな、と思った。言い換えるとその様な出来事、もしくはニュースやサインに自分のアンテナが反応する様になっているのではないかと。

何週間か前に怪我をしたご高齢の女性の介抱の場面に遭遇した。そして今日は眼の前でご高齢の女性が自転車でバランスを崩して転んでしまった場面に遭遇した。

私の周りにいた人々は2人。3人でなんとか女性を起そうと試みた。幸いな事にお怪我はなく少し座って休んだ後にゆっくりと自転車を押して歩き始めた。

この時私は起き上がるお手伝いをしようと思ったんだけど、どの様に自分の身体を添えてあげたらベストか、という想像が追い付かなかった。私を含め3人のうちの1人の女性が慣れているのか、とても良い動きでその女性を起き上がらせていた。

何より、掛け声がとてもどっしりしていて安心させる様な掛け声だった。

うーん、なるほど。とほんの数分の出来事だったのだけれど学んだ事が色々あった。介抱する際の身体の使い方、声のトーン、etc..

この話の流れからまた冒頭の連続的に現れる出来事、の話に戻ります。この出来事が伝えようとしている事はなんだろう?というか、昨日友人と他者の気持ちを理解する事について、という事を話していたのでした。

ひとは生まれた環境、持ち合わせている身体性やメンタリティー、バックグラウンド等など同じものはひとつとしてない。個人として見るとカテゴリーに当てはめる事は厳密にはできない。だからその上で向こうが何を考えているか想像するというのは本当に大きな作業であり、類似体験等をしないと理解できないケースもしばしばある様に思う。

そして何より頭だけで理解するのではなく、身体を伴った理解をいつも求めている。どの様にこの身体を動かしたら、手を動かしたら、足の角度を変えたら、言葉を選べばベストなのか。

何より、理解できる事だけが大事なのではなくて、理解したいという気持ちを持ち続ける事なんだよな。。と思った。そう思うと人間はいつでも独りだし他者に理解されうるものではないのかもしれない。それでも歩み寄って肩を寄せて生活する人間の姿はなんだかとても豊かに見えるのでした。

うーん、学べという事だな。学ぼう。

学んだ上でどの様な自分になっているのか、想像するのに相応しい新年度の始まりの日です。

新社会人の皆さん、新しい仕事や環境に身を置く皆さん、何かを新しくスタートする皆さんへ、おめでとうございます!

“眼の前に現れる出来事” への 2 件のフィードバック

  1. いくつになっても、どんな立場になっても、「学び続ける」ことの大切さ、ありがたみ、楽しさを感じて生きて行けたら良いなと日々感じています!!

    いいね: 1人

  2. CoccoCanさんのコメントを読んで改めて学べるということは本当に有難い事だなと思い返しました。ありがとうございます^^お互いに楽しさを感じて生活していきましょう!

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