そのできないことは才能

先日、初めての現場でひとりオープン作業をしていました。最後の作業、ドアの鍵を開けるという作業に取り掛かったところ鍵が硬くて回せない。。という事態に。

何回か試してみるもなかなか出来ず、おまけに外にはオープンを待っている人がいるときた。悪戦苦闘していると、その外で待っていた方が「管理会社の方に連絡しますよ、僕関連会社のものなので」とガラスドア越しに話しかけてきてくれて管理人さんがペンチを持ってきてくれたのでした。

申し訳ないやらありがたいやら、という感じでその場はなんとかなりました。その後何回か手で開けてみようと試みたのですができなかったのですよねえ。。でも、数日後再チャレンジしてみたら。。出来た!(泣)

ちょっとした身体の使い方なんですけど、他のスタッフはなんの問題もなく出来ているみたいなので、私はそういうちょっとした身体性のコツをつかむのが結構苦手なんだなあと思いました。

確かにそういう3次元的作業があまり得意ではない、というか習得するのに結構時間がかかるタイプ。。これって不利な事多いよなあ。。と少し肩を落としかけたのですが、

でもまてよ???

そんな鍵が開けられない自分の眼の前に助け船を出してくれる人が既に現れていたってなんだかすごいタイミングじゃない??とその後思い返していたのです。

何が言いたいかといいますと、

自分が出来ない事は誰かが出来る事である

自分が困っている時に助けてくれる波をキャッチするアンテナを立てる事が出来た自分よありがとう

人は完璧じゃない。だから補い合いながらこの社会は回っているんだなあと思いました。甘んじ過ぎるのは少し違うかな、という例もあると思いますが。

そして自分には出来ない事があるという事はその反面、他の人が苦手とする事がすらすらと出来る可能性もある。ここでの私の才能は莫迦正直に困っている姿をさらけ出せた事でしょうか。。(複雑)

どこかの自己啓発本の件みたいで申し訳なのですが。

自分の苦手の裏に隠れた才能を掘り出すのも大事だけど、そもそも自分が何を苦手とするのか?という事を自覚するのも物凄く大事だし、それを周りの人に認識してもらう=常日頃自分をいかに嘘偽りなく発揮しているという事にも繋がるのかと。

そう思うと周りの人にも自然に優しくなれる様な気がするし、人にちょっとした期待や願いを持つという事がなくなる様な気がする。期待やこうなって欲しいという願いって、受ける側はちょっと重たく感じるんじゃないかなと思うのです。念を背負わされるというか(と、ふとこなきじじいの顔がよぎる。。)後は、期待が叶わなかった時に一番がっかりするのは自分ですよね。

ああああ、こんな偉そうな事をつらつら書いていますが、何が言いたいかというと助け舟出してくれて、ペンチ貸してくれてありがとううううううう!

です!

今日もお疲れ様でした、良い夜をお過ごしください:)

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