【ORDER MADE WORK】ポートレート ひとさじ くわえさせて

オンラインショップに新しいサービスを導入しました。その名も

【ORDER MADE WORK】 ポートレート ひとさじ くわえさせて

先月友人から「娘を描いて欲しい」とのオーダーを受けてせっせこ制作していたのですが、オンラインショップのオーダーメイドワークに参加させてみようかな、と思い正式参加致しました。

メール等を通じてあなたが描いて欲しい人(もちろんご自身でもOK)の写真を見せて頂いたり、お話を少し聞かせて頂いたりして、そこにコラージュやイラストのエッセンスを加えながらポートレートを完成させていきます。

今回お話を頂いた友人の娘さん、実際にお会いした事はないのですが、写真を見せて頂いたり好きな遊びや色等を伺って私の中でイメージを拡げていきました。私のなかでの印象は、何故かとても大人っぽいイメージでした(まだ小学生さんなのですが)。

多分、こんな感じの大人になるんじゃないかな。。という妄想が働いたのかもしれません。そこで作られたのが下記のコラージュ(大体最初にドローイングやコラージュをしてイメージを膨らませていきます)

でもこのプロセスを経て見えてきたものはもう少し「今」の姿を描こう、という事でした。そしたらなんだかお母さんと一緒に並んでいる姿を描きたくなったので.。。そちらを納品しました。また、抹茶パフェが好きみたいでパフェの山に登っている娘さんの絵をイラストタッチで描きました。

登る山だったら抹茶パフェみたいだったら良いな、なんていう妄想が働き(自分が登りたいだけなのか(爆)食べる事に一生懸命になりそうな予感。。)加えてみました。

描いている時間、私も一緒に抹茶パフェを食べるという(MOWの抹茶→大好きと、ゆであずきと、パンをグラスに詰めて自家製パフェ作ってた。。パンじゃなくて白玉とかにしときゃ良かった。。と大後悔しましたが。なんでパンを選択したか未だに謎。。ってどうでも良いですね!)。

その他にも触れた事のないアニメやゲームの事を調べたり、自分が普段はチョイスしないような色彩のものを眺めたり、ひとときの間色んな意味で違う人生を味わった気分でした。

この様な経験をさせてくれた友人へ、どうもありがとうございます。

というわけで、「ポートレート ひとさじくわえさせて」を何卒宜しくお願い致します。

bananamelon / バナナメロン

先日バナナとメロンの貼り絵を納品してきました。オンラインショップの方には貼り絵の原画の写真しか掲載する事ができなかったので額に収まるとこんな感じだよ、というのを後ほどアップしようと思います。

私も自分で作った貼り絵が額縁に収まるとこんな感じになるのかと初めて知った(笑)

通常、額装したものを郵送という形で提供させて頂いておりますが、今回のクライアントさんはご自宅が近いという事もあり、インテリアの様子や壁の色等、相談させて頂きながらどんな額縁にするかを決めていきました。ちなみに額縁の裏側はこんな感じです。紐部分にワイヤーを引っ掛けたり、釘などに直接引っ掛ける事ができます。

今回の事で額装から納品まで一連の流れを体験させて頂いた事、その課程を経て新たな局面にいる事に感謝致します。また、家庭の中に参加させて頂くという事、これからの時間を一緒に過ごしていく事になるんだなあと思うとなんだかとても不思議な、でもとても光栄な気持ちです。

この貼り絵に関しては、シートのまま販売しても良いかな。。とも考えていたのですが、物によって額装するとがらっと印象が変わるし、最後まできちんと面倒を見るべきだなと思いまして額装込みでご提供させて頂いています。

ばなーな
めろーん

オンラインショップの方も是非覗いてみて下さいね。
https://masumihirayama-aat.stores.jp/

まさかのフィッシュマンズにバナナメロンという曲があった。というか、バナナメロンというフルーツもあるんですね。

歯を食いしばるのはもうやめよう

うっかりすると書かない日がこんなにも出来ていて、自分でも何をしていたのか記憶が曖昧です、が、ここ最近は集中的に制作をしたり画材屋さんへ相談に行ったりなどある意味とても濃密な日々でした。

それもこれも、友人が絵を二枚購入してくれたのでした。

先日額縁のオーダーが済んでまだ完成品は手元に届いていないのですが、とても勉強になったし、額縁付きの商品に関しての説明をもう少し手を加えた方が良い気がするな。。などなど考える事が色々ありました。でもほんと、こうして経験をさせていただけること自体がとても光栄です。

最近ほんと色々考えてたわりにアウトプットをしていなかったので、言葉があまり出てこないのですが。。よく考えていたことその1。

性格上、初めての試みって楽しみでもあり、ちょっと緊張するというか少し不安めいて考えてしまう時があるんですけど(この思考回路、手放し中、いい加減、じゃま!(笑))、「良い経験できると思えば」という言葉をとある方が仰っていて、妙に腹落ちしたのでそれを聞いた日からこの言葉を思い出すようにしている。結構効果アリ(にやり)。

その2。少しでも違うなと思った事はしない。例えば朝ごはんは何が食べたい?のサインを見誤るとそのズレがどこかでやってくる。「ちくしょー、パン食べていれば。。」と一気にタラレバトークに突入するのです。いちにちの中で判断する瞬間ってたびたびやってくると思うんですけど、自分を大事に出来ないと周りも大事に出来ないし、結局はそこなのではないかなとも思う。

ちなみにどうでも良いんですけど、一昨日歯が欠けました。。(泣)正確に言うと、大昔に詰め込んだプラスチックが外れてしまったみたいです。

歯医者さん: 「歯食いしばる事ある?」

私: 「寝てる時歯ぎしりしてる時あると思います」

歯医者さん: 「日中起きてる時、食いしばってる事はない?起きてる時上の歯と下の歯ってふつう食べる時以外はぶつかることがないんだけど。。」

私:「。。そうなんですか?確かに何か集中している時はあごにぎゅっと力入ってるかも。。」

歯医者さん:「。。。(絶対食いしばってるなこいつ)」

リラックスしてたら食いしばる事ってないよな。。今までズレてズレてズレまくって歯を食いしばっていたのか?自分よ。。と笑えてくるような出来事でした。でもこうして身体の症状としてサインを送ってくれたのでそれはとてもありがたい事ですね。気巡ってないんですな、私は。

額縁オーダーの為立ち寄った神保町の帰り、飯田橋まで散歩しました。よく晴れて気持ちが良い日だったー。飯田橋近辺、とても好きです。

某印刷ショップでの強制終了。ストップの圧力すさまじい、という話。

この前とある出来事に対してほぼ強制的に自分の中でストップしてしまった事があって、なかなか言語化する事が出来ずに何日かうんうん苦しんでいたのですけど、頑張って説明してみようと思います。

まず、オンラインショップで初めてポストカードをご購入して下さった方がいました。ほんとに有難いの気持ちしかなく、この場をお借りしてお伝えしたいです。「ありがとうございます!」

で、ですね。ひと息ついて落ち着いてから梱包等の作業に取りかかりました。封筒も手作りして、中に入れたメッセージカードも自分で染めたものを入れたりして。で、その日のうちに出そうと思って郵便局に行ったのですが、少し出遅れてしまって窓口が開いていませんでした。だから一晩おあずけになってしまったんです。

でも、その一晩時間を置くという事が自分に迷える時間をきっちり提供してくれたのです。

その迷いはと言いますと(以下の通り)

・もう少しきっちりとした店らしい感じで梱包した方が良いんじゃないだろうか?
・もう少しこれからの事を考えたデザイン、もう少し正当なもの(ここポイント)を梱包した方が良いんじゃないだろうか?
・あのお店はああやってた、あそこのお店はこうだった。。etc

そんな迷いを経て、「よし、お店のDM”らしき”ものを急きょだけど作ろう!」と思い立ちデザインを考え、次の日に某印刷ショップに行ったのですが、そこで自分の中に突然ストップがかかるのです。

それは何だったのかというと、私は用紙の持ち込みをして手ざし印刷でDMを刷ろうとしていました。ところがです、なんとこの夏から用紙持ち込みが課金されることになったらしく、料金は****円。。!これには私も驚いてしまい、なんだかこの時点で一気に印刷する気が萎えてしまったのです。

そこで別の方法を考えてみるもなんだか空中分解してしまい、なかなか良い案が出せなかったのですが。。でも気づいたのです。

「あー、このDM作ろうという案は自分の自信の無さをなんとか埋め合わせしようとしていたんだな。。」

そうなんですよ、最初嬉々として封筒とその中身を用意していたにも関わらず、心の隙間に外側・世間の意見が入り込んできて知らないうちに自分と他者を比較してしまっていたのです。もちろん、相手に対して良きものを提供したいし、これからに繋がる事を建設的に考えてその手段を取っていくのは賢い事だと思う。けど、自分なりに考えて作ったものを、他人様と比較してしまった事によって否定するのは自分を傷つける行為だな、と思った。おおげさかもしれないけれど。

それを裏付けるかのように、そのDMの用意をしている時に、「楽しい」という気分はあまりなかった。どちらかというと何かに駆り立てられている様な、不安が入り混じったものだった。そんな気持ちで臨んだから想定外の出来事(課金爆上がり)が起きたんだなーと今、思う。本当にやりたかったら印刷する枚数うんぬん考えるよりやるだろうし、もしくは他の案を意地でも見つけ出していたと思う。

こんな事を考えてるのでは世間で言われる繁盛する、という事とは遠い所にいるのかもしれないし、効率悪いんだろう。。(笑)でも、気づけた事は収穫だったと思う。正解なんてないのに、自分が持っていない物に基準を合わせてしまった。しかも無意識レベルです。こわーー

なるべくなら不安より、自分にとって楽しく心地よい方を選択していきたい。自分を大事に出来なければきっと相手の事も大事に出来ない。と、言う事で結局は、当初予定していたスタイルでお送りしました!

その後、別件で以前お世話になったコーヒー屋のお姉さんにささやかな手製のポストカード(そのお店のコーヒーを使って染めたポストカードにイラストを描いたもの)を渡しに行ったのですが、とても喜んでくれました。その喜んでいる姿を見て「やっぱりあれで良かったのかもなあ」と。。

自分にとってなんだかとても学ぶ事が多き出来事だった。これからも色々と襲いかかってくるんだろうが、有能なキャッチャーにでもなったつもりで受け止めて対処していきたいところです。

写真は真剣に紙芝居(だったかな?)を見ている子ども達。この目線、大事やー。

online shop開設しました

10月に入って一気に空気が変わったように感じています。動くと少し汗ばむ日もあったりするけれど、朝晩はすっかり秋ですね。散歩が一番楽しい季節は今。。なので外にも繰り出していこうと考えています。

さて、ここでお知らせなのですが、10月1日にmasumihirayama art and therapyという名前のonline shopを開設しました。

https://masumihirayama-aat.stores.jp

主に私が作った作品やセラピーワークで構成されています。

作品はここ最近貼り絵に取り組んでいたので、それらがほとんどを占めいていますが、元来飽きっぽい性格でもありまして。。その時々に興味を持ったものに取り組んでいっています。気負いなく、その時に必要な技法を用いて表現していけたらなと考えています。

そして私は元々サロンセラピストとして働いていた事もあり、このonline shopの中にセラピーメニューも組み込んでみました。とは言えど、私が今まで行っていたセラピーのアプローチはマッサージという極めてフィジカルな方法でした。しかし、アートという方法を通して心から働きかけていくもの。そして自分が出来そうだな、と思ったのがtell me your storyという方法です。

思えば、勤めていたサロンでもブログを書かせて頂いておりまして。。結構それに情熱を燃やしていたのです。身体を調整するのは本当に大事です、そしてそれと共に調整していきたいのがマインドと思考。考え方を変えるだけで世界は異なる姿を見せる。私はそう信じているのでブログを通して、肩の力を抜いて欲しいといつも考えていました。

このshopにあがってくる作品達も結局は私が手を動かす事で癒された結果の作品達に変わりないのかもしれないです。

掲載されている作品数はまだまだ少ないですが、徐々にアップしていこうと考えています。

あ、後そうそう!

思い出 家族 カレンダー

これは大事な友人に赤ちゃんができて、その子をイラストにして欲しいといった話から出来上がった作品でした。私にとってこのカレンダーを作っている期間は癒しでしかなかった。。!もし望む人々がいるならやってみたいなあと思いついたものです。

とまあ、私もよちよちの赤ちゃんみたいな感じですが。。少しずつshopを成長させていこうと思います。個々の作品達も少しずつご紹介できたらなと考えています。後、今現在クレジットカード利用が出来ず申請中です(他の支払い方法:ex. 銀行振込み等)は利用可能です。こちらも利用可能になりましたらまた追ってご連絡致します。

最初のうちは不慣れな事も多く、ご迷惑を掛けてしまうかもしれませんがひとつひとつ丁寧に向き合っていこうと思っています。温かく見守って下さると心強いです。

少しずつ秋が深まりを見せています。心身ともにご自愛下さい。そして激動の2020ですが、残り少し、心穏やかにお過ごし下さい。

何卒宜しくお願い致します。

2020年10月5日(月) 平山真澄

名づけて物撮りブルー

ここ数日、制作物を物撮りしていたのですが、物撮りとは、難しい。。。。少しずつ前よりは色んな事がわかるようになってきたものの、満足がいくにはなかなかむずかしい。

作業に疲れてしまって、隣町の商店街にふらっと散歩に行ったらとある写真スタジオが開放していて「あ、開いてる。。」とこれまたふらっと入って物撮りの相談などをしてしまいました。配置の角度の事、光と影の事など今まで気にとめてなかった点も教えてくれて、感謝しかない(泣)でもなにより、良く見る事、これが一番大事なんだろうなあ。この前とある写真家さんが写真映りが良い人は自分の事を鏡で良く見ていると言っていたのと同じ事なのではないかと思う。

以前も現像の事で別の写真館の方にご相談に行った事があるのですが、写真を撮る方と接するととても現実を見つめる力が強いのだなあと思う事があります。でもその力を超えて写真に現実を超えた現実を映し出していて、魔術師の様に感じる事もあります。そして今までお会いした方のほとんどは真摯に質問すると物凄く丁寧に答えてくれる人ばかりです。多謝。。!

その後はyoutubeで物撮り関連の動画を見たりして、翌日再挑戦。

この前よりは良いかな~?けど、これはひたすら練習ですな。。

でも、ここでふと思った。私はこれらの写真を撮る上で一番大事にしたい事はなんだろう?もちろん、観る人が観やすい様に。。もあるけれど作品の持っている空気感や肩肘張らない気楽さを伝えたいと思っている。。と考えたらなんだか自分の肩の力がスッと抜けた思いになりました。知らないうちに無理に型にはめようとしていたのかなあという事がわかり、なんだか随分と楽しくなってきました。やはり、自分の肩の力が抜けないと写真を観ている方もガチガチになってしまうと思うから。

こうしなければならない、という事はひとつもないのに、いつのまにか自分軸で考えれない時がある。

良く見る、という練習を続けるのはそのままに。でも窮屈でこの形でなければいけない、という思考からは抜け出して楽しみのエッセンスを加えながら前進していけたらなあと思う。

今度、あの写真館の方に差し入れを持っていこう。

リトル・ピープル

思えば私の半生、頭の中にぴょこぴょこ現れる小さな人達がいる。何か真剣に考えている時、真面目に描いている時、そのふざけたタッチの人々は1ぴょこ2ぴょこと現れる。(だから勉強が出来なかったんだな!)

ノートにらくがきしたり、何かちょっとした絵を書くときは必ずその小さな人達になってしまう。

リトル・ピープルとでも呼ぼう(村上春樹ファンの皆さん、ごめんなさい💧)

いつも自然に描きすぎているので考えた事なかったけど、現れてくるからには登場させた方が良いのかと考える。

近いうちにネットショップを始めてみようかと考えています。もっと早くできただろうにと、何度も思うのですがこの数カ月、自分と向き合う時間がどうしても必要でした。

作品数こそまだそんなにないけれど、良い気が廻っているものをお届けしたいと思います。作品数と同時に自信も全く無いのですが、私の中のジャニさんが「you, やっちゃいなよ!」というので。。人生短いしね(笑)

何卒宜しくお願い致します;)

なぜ君ははぎれを使うのか

キタキツネ

ここ最近ずっと貼り絵を作っています。モチーフは動物や食べもの、風景等。。人間はなんだか作る気にならなくて作っていない。とある時期はポートレートばっかり必死で描いていた時期もあったのになんでなんだろう。

作り始めたきっかけは銅版画で試刷りした紙や切れ端がいっぱい残っていたから。私は普段は断捨離魔なので(笑)必要ないなと思ったらちょっとためらいつつも容赦なくゴミ収集orリサイクルへ廻してしまいます。

ただ、この版画で使用した紙は何故だか捨てられなかった。ハ―ネミューレというそう安くはない紙、というのも勿論あるけれど、試刷りに使用した紙というのは失敗や実験の思い出が詰まってるし、その思い出を分け合う時間が工房の中には確実に流れていたのでそれを使わないからといって手放すのは何だか寂しかったし何かに変換したいなと思っていたからです。

切れ端とかはぎれとか、形ある物を作るとどうしてもでてしまうもの。現実的に用途はないもの、そのようなものの存在を新たに形あるものにしたかった。でも、また形をつくるからといってそこから新たなはぎれは極力出さないようにしたい。紙も細かく切り刻んで素材の質感を出すためにも貼りこんでいけば全てのはぎれが回収され得ます。

素材を買い足す時は勿論これからあると思うけど、極力今自分が持っているもの、触れられるものに焦点を当てて制作していくスタンスをしばらくは取っていこうかなと考えています。アイデア次第で変更する事もあるかもしれないけれど今はそんな気分です。

また、これはずっと思っていた事なんですが、この世の中には人知れず頑張っている人、頑張っているのに評価をされない人、大きな組織という”形or型”からあぶれてしまって、独自のスタイルを保ちつつもインディペンデントな人。そんな依存しない、自分の道を歩んでいる人を観る度に静かに心の中でエールを送っています。

なんか、いつもそんな事を考えているからなのか、このはぎれを使って制作したいと思ったのは。私という媒体を通して、この素材達を型にはめ込むのではなく適切な場所、輝け得る場所ににリロケートしたい。(ずいぶん偉そうですが。。そんな感じです。)

今回の話の流れで言うと、これから、勿論私も含め、個人がもっと自由に自分と言う一人の人間としてこの社会で生きてければ良いと思う。型にはめられることなく、はまることもなく、自分である事を思い切り肯定できる社会。

そうそう、昨日この映画を遂に観ました。タイミングだったなあ。

「なぜ君は総理大臣になれないのか」大島新 監督

こんなひとがいたんだと驚きつつ、とても純粋に応援したい気持ちになりました。3~4回位涙腺崩壊した夜。

アートと味噌汁の関係

私は密かに味噌汁とアートの存在はイコールと言えるんじゃないかと勝手に仮説を立てている。

味噌汁は日本人のソウルフードであり大昔から飲まれていて、一日の食卓に無ければならないものの様な存在感を放っている。

味噌汁はあの小さなお椀の中に豊富な栄養素を詰め込んで夏バテも防止しうる、おまけに土井義晴先生も一汁一菜やお味噌汁について話しているときた。(すみません、土井先生リスペクトなもので。。(照))

たまに味噌汁を丸一日飲まない日があるけどそんな日は何故かいつも調子が上がらないし、余計なお菓子をもりもり食べてしまう事がある。でも、味噌汁を一日に2~3杯飲むようになると何故か満足感が得られてお菓子の量が減った経験がある。

そう、全体的に調子を整えてくれて腹の底からその日のパワーを底上げしてくれる感覚があるのです。

で、何でアートとイコールなのかというと、アートも日常に無くてはならない存在だと思っているからです。味噌汁を飲まないと腹に力が入らない、アートに触れないと腹に力が入らない。力が入らないというか、なんだか日々がパッとしない。。(個人的所感)

味噌汁を作る工程も作品作りの工程に似ていると思う。昆布や鰹節、いりこを使って大きな鍋に出汁を取る。この出汁の存在は作家の持っているアイデアや制作の動機などにあたる。そしてその豊穣のアイデアの海の中に無数の野菜や時には魚や肉をぶっこむ。素材の切り刻みかたはどんな作品(味噌汁)のイメージを描いているかによって変化する。短冊切りなのか、半月切りなのか、それともいちょう切りか?

そしてくつくつと煮て(もくもくと作業し)、灰汁を取り除いたりし(余計な所をカットし)、ころあいをみてお味噌をとく。

それだと、煮ものだとか他の料理でも言えるんじゃないの?という声もあがってくるかと思うのですが、決め手はお味噌です。ゆっくりと時間をかけて発酵させた味噌がお鍋の中に注ぎこまれていくように、作品の中にその作家の熟成発酵された””が注ぎこまれていくのです!

このお味噌がないと輪郭がぼやけたただのスープ(作品)になってしまうが故に、あまり心に残らないものとなってしまう。

”愛”という言葉を使うのにいささか抵抗があって思わず声が小さくなってしまうのだけど。。(もごもご)ここは声を大にして言おう。出汁取る以上に熟成された並々ならぬが投入されるのです!ぱふぱふ

そしてここで述べているアートとは勿論、絵や彫刻や人の手を介して作られる作品の事も述べていますが、掃除や料理、洗濯のたたみかたやコピーの取り方に至る日常の行為までもアート作品を作る行為とみなして話しています。やはりどんな行為にもお味噌の様なあげまん的な、松岡修造的な愛というスパイスが入っているとなんだか心がほわーんとなるのです。

だから、毎日必要。

一日に一回はそういった物に触れると元気が出ますよね。

という仮説を妄想している今日この頃でした。今日はお味噌汁食べましたよ♪