某印刷ショップでの強制終了。ストップの圧力すさまじい、という話。

この前とある出来事に対してほぼ強制的に自分の中でストップしてしまった事があって、なかなか言語化する事が出来ずに何日かうんうん苦しんでいたのですけど、頑張って説明してみようと思います。

まず、オンラインショップで初めてポストカードをご購入して下さった方がいました。ほんとに有難いの気持ちしかなく、この場をお借りしてお伝えしたいです。「ありがとうございます!」

で、ですね。ひと息ついて落ち着いてから梱包等の作業に取りかかりました。封筒も手作りして、中に入れたメッセージカードも自分で染めたものを入れたりして。で、その日のうちに出そうと思って郵便局に行ったのですが、少し出遅れてしまって窓口が開いていませんでした。だから一晩おあずけになってしまったんです。

でも、その一晩時間を置くという事が自分に迷える時間をきっちり提供してくれたのです。

その迷いはと言いますと(以下の通り)

・もう少しきっちりとした店らしい感じで梱包した方が良いんじゃないだろうか?
・もう少しこれからの事を考えたデザイン、もう少し正当なもの(ここポイント)を梱包した方が良いんじゃないだろうか?
・あのお店はああやってた、あそこのお店はこうだった。。etc

そんな迷いを経て、「よし、お店のDM”らしき”ものを急きょだけど作ろう!」と思い立ちデザインを考え、次の日に某印刷ショップに行ったのですが、そこで自分の中に突然ストップがかかるのです。

それは何だったのかというと、私は用紙の持ち込みをして手ざし印刷でDMを刷ろうとしていました。ところがです、なんとこの夏から用紙持ち込みが課金されることになったらしく、料金は****円。。!これには私も驚いてしまい、なんだかこの時点で一気に印刷する気が萎えてしまったのです。

そこで別の方法を考えてみるもなんだか空中分解してしまい、なかなか良い案が出せなかったのですが。。でも気づいたのです。

「あー、このDM作ろうという案は自分の自信の無さをなんとか埋め合わせしようとしていたんだな。。」

そうなんですよ、最初嬉々として封筒とその中身を用意していたにも関わらず、心の隙間に外側・世間の意見が入り込んできて知らないうちに自分と他者を比較してしまっていたのです。もちろん、相手に対して良きものを提供したいし、これからに繋がる事を建設的に考えてその手段を取っていくのは賢い事だと思う。けど、自分なりに考えて作ったものを、他人様と比較してしまった事によって否定するのは自分を傷つける行為だな、と思った。おおげさかもしれないけれど。

それを裏付けるかのように、そのDMの用意をしている時に、「楽しい」という気分はあまりなかった。どちらかというと何かに駆り立てられている様な、不安が入り混じったものだった。そんな気持ちで臨んだから想定外の出来事(課金爆上がり)が起きたんだなーと今、思う。本当にやりたかったら印刷する枚数うんぬん考えるよりやるだろうし、もしくは他の案を意地でも見つけ出していたと思う。

こんな事を考えてるのでは世間で言われる繁盛する、という事とは遠い所にいるのかもしれないし、効率悪いんだろう。。(笑)でも、気づけた事は収穫だったと思う。正解なんてないのに、自分が持っていない物に基準を合わせてしまった。しかも無意識レベルです。こわーー

なるべくなら不安より、自分にとって楽しく心地よい方を選択していきたい。自分を大事に出来なければきっと相手の事も大事に出来ない。と、言う事で結局は、当初予定していたスタイルでお送りしました!

その後、別件で以前お世話になったコーヒー屋のお姉さんにささやかな手製のポストカード(そのお店のコーヒーを使って染めたポストカードにイラストを描いたもの)を渡しに行ったのですが、とても喜んでくれました。その喜んでいる姿を見て「やっぱりあれで良かったのかもなあ」と。。

自分にとってなんだかとても学ぶ事が多き出来事だった。これからも色々と襲いかかってくるんだろうが、有能なキャッチャーにでもなったつもりで受け止めて対処していきたいところです。

写真は真剣に紙芝居(だったかな?)を見ている子ども達。この目線、大事やー。

夕方の公園で、ひとり逆向きに歩く

最近、自分が普通だと思っている事を疑う練習をしています。考え方・視点が変わると自分にかかっているブロックが更に外れていくのではないかという目論見。。私の友人でいつも物事を良い意味で疑い、多面的に捉える人がいます。もう、全然考え付かない様な方向に話が転換していく時があるのでいつも「すげ~」と感心してしまいます。

灰色の空の下、切り立った崖にひとり立ちすくんでいる人間がいました。眼の前に拡がる海原を見つめる視線の先はいつもはるか遠くに見える光の粒でした。

その人間は眼鏡をかけていました。レンズの片方は透明ですが、もう片方はいつもくもりがかかっています。

その人間はいつも考えていました。

「自分には見えていない光の粒がこの世にはたくさんあるのではないだろうか?」

しかしその眼鏡は人間の体の一部でありはずす事ができませんでした。ただただ、とおりぬけていく風を感じながら両方の眼に映る光の粒を追いかけているのでした。

これは2年ほど前に制作した蛇腹タイプの本です。超ショートストーリー(上記文↑)とドローイングが添えてあります。この当時の私の頭にいっつもこんな感じのイメージが纏わりついてました。崖の上、灰色の風景、かたっぽだけはまった眼鏡。

制作時のスケッチ

というか、この超ショートストーリー、だいぶ自分にブロックかけていますよね?と今になって思う。片方しか見えない眼鏡かけてしかもはずせないなんてさ!どんだけブレーキ掛けてんのとつっこみどころ満載(笑)当時の自分には問題提起の意味も込めていたんだろうな。。と振り返る2020。

つまり当時も今も視点を転換したいと思っている訳ですが、逆に考えたり、疑ってみたり、色々できますけど、もし判らなくなったら植物とか自然を観察した方が良いのかもしれないと最近はよく思います。人の意見や主張、感情は移ろうものだけど、植物は自然界の法則や合理性に基づきながらただただ生きている。それ以上のものってないんじゃないかなと思ったりもします。

上の葉っぱを刈りいれる事で下の葉っぱが伸びてくる現象、なんだか会社組織の縮図を見ているみたいだな。とよく思う。先輩がやりすぎちゃうと後輩が育たないとゆう(ん?まてよ、これこそが思いこみなのだろうか?)

後は循環できる環境を整える事。これをやる事によって風通しが良くなり新しいアイデアがびゅんびゅん吹き込んでくるような気がします。

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昨日そんな事を考えながら少し涼しくなった夕方の住宅街を散歩していたら、幅は狭いけど縦に長い見晴らしの良い公園を発見。周りには誰もいない。。これはチャンス!と思ってやっちゃいましたよ。逆向きに歩く!これやったの中学校以来?もしくは部活のトレーニングでやってたような。。逆向きに歩いたら何か判るかと思ったんですけど。まずは身体からね~。

プロセスの時に見える風景 / 奈良さん / メゾチント

昨日は銅版画クラスでメゾチントという技法の目立てを行いました。初メゾチント。。!他の方々がやっているのを横目でいつも見ていて、やってみたいなあと思っていたのです。ちなみにメゾチントとは、銅板全体に傷をつけて写真の様に真っ黒の画面を作り(この工程が目立て&写真はインクを載せて刷った後のもの)、その上に描きたい絵を描いていきます。絵を描く際に目立ての時にできた傷がつぶされるのでその部分は白くなります。

まずは目立ての作業なのですが慣れない道具を使って長時間行っていた為、腕が超筋肉痛。。(泣)でも家帰って刷ったものを並べてみて変化があることにムフフ、となっていました。

私は作品の出来上がっていくプロセスを通っている時が一番好きかもしれません。また、他の作家さんの作品の裏側にあるプロセスを知るのが好きです。こんなに時間が掛かっていたのか、こんな出来事が起きたからこの様な表現方法に至ったのか、という事が知れると自分の感性が刺激を受けて更に違う視点を持つ事ができる。とかいう事を考えていたら奈良美智さんが以下の様な事をツイートしてました。

奈良さんの著書でちいさな星通信という、自身の生い立ちからドイツへの留学、様々な国での活動が綴ってある本があり、今でもたまに見返しています。日々や制作への葛藤がストレートに綴られていて、悔しい事があった時や行き詰った時、この本を枕元に置いて寝ていた若き日々があります。。(遠い目)奈良さんの作品から出ているあの深みとは、色んなプロセスを通った上で出てくる深みなんだろうなあと今更ながら納得しています。

何より、素材とコミュニケーションしながら少しずつ理解していく、ということを肌身で感じた時に嬉しさを感じるかもしれません。自分の事や日常を忘れ素材の事だけを考えている時に、なんだかすごく幸せを感じます。でも私は理解するのがすごく遅い方だと思います、残念ながら(笑)

そのプロセス自体が作品になることだってあるんですよね。すっとばさず、じっくりと身体に馴染ませていこうと思います。自戒を込めて。